どど と吃って人助け
 相当昔の話になるが、私の親友が違反建築をしてしまった。 密集地帯に建っていた平屋の工場を二階建てに立て直したのである
 十八坪ほどの土地に建てる家であるから建蔽率が一坪半くらいはみ出しても問題は出なかろう、周りを見渡せば、ほとんどの家が違反建築の家ばかりではないか……と彼は軽い気持ちであった
 ところが運悪く、どこにでもいる自分のことは棚に上げて人のアラ探しを生き甲斐としている女の人の目にとまり、区役所の建築家へ密告(ささ)れてしまったのである。
 彼と私とは三十年来の兄弟以上の付き合いである。 私の父が町工場を経営していたときに機械工で働いていた。朝鮮動乱後の不景気の時代、賃金が払えず他の六人の職人が全部逃げ出したとき、彼一人が残ってくれたのであった。
 私と二人で掘っ立て小屋の工場の隅の三畳間で寝食を共にし、うどんをすすりながら仕事をした仲間である。
 その後、私は商売に進んで商人となり、彼は工場を引き継いで今日まで来た。 当然、職人特有の性格で、人前で改まった話をするなどは大の苦手である。
 ところがよくしたもので彼の細君は口八丁手八丁、働き者で自分で車を運転して納品・外交・経理事務一切を切り盛りする。
 亭主が仕事と釣りしかできない男だから自然そうなったのだろうがその反面欠点は、まかり間違ったら言葉が機関銃のように口から飛び出してくる女性と言うことである。
 区役所から若い役人が調査にきたとき、人をこ馬鹿にしたものの言い方が口惜しいと、この機関銃が発射した。
 若い役人も意地となり、違反は違反だから違反部分は取り壊せと頑張り収拾がつかない。 困り果てて私に相談に来たのである。
 私は革新系の政治家の紹介で地元の区議会議員と話し合い、事情を説明して善処を依頼したところ、快く引き受けてくれた区議会議員の先生が、途中からすっかり逃げ腰となり、何とも要領を得ない。
 逃げ回る区議の先生をやっとつかまえたら
 「とにかく、区役所の建築課では奥さんでは話にならないからご主人と大工さんと二人で一度、区の建築課へ行って話し合ってほしい」
 との一点張りで、良いのか駄目なのかも分からない。 よっぽどその若い役人の心証を害してしまったらしい。 本人が行く気があるくらいなら何も議員の先生など頼まない。
 「俺はこんなことで区役所へ話に行くなんて死んでもいやだ。 区で取り壊せというのなら建てた家全部壊してしまえば文句はないだろう」
 と言う始末である。 区の建築課では上席の役人がもう一度事情を聞き直すから施工した大工と主人の二人で来いということになり、私にその主人の代役をしてほしいとの話に変わってきたのである
 私も彼が若い頃、飲み屋にたまったツケの言い訳や酔っ払っていたずらをした警察での言い訳は結構代役を務めて来たが、こんな代役は初めてであり、まして成功する目算など全くない。 だけど彼が行けばぶち壊しになるのは目に見えているので
 「どうなるか分からないが、仕方ない。 とにかく行ってみよう」
 ということになり、指定された日に、私は本人に成りすまし大工と二人で区役所へ出掛けたのであった。
 まず油で汚れた作業着に着替え、黒い油を手や顔にまで適当に塗りたくってメークアップを施し、どう見ても今の今まで機械を動かしていた一徹な職人と言う格好で出掛けたのである。
 区役所の建築課で名前を告げると
 「おう、来た、来た」
 と言わんばかりに、ものすっごく意地悪そうな目付きでチラチラこちらを睨んでいる若い役人がいる。
 「ははあ、彼が張本人だな」
 と気ずいたが、知らん顔をして呼ばれるまで待っていたのである。 よほど悪意を持たれていたと見えて四十分くらい横目で睨まれながら廊下で待たされたのであった。
 やっと上席の役人の手が空いたらしく奥のソフアーへ通された。 私はこの雰囲気では私の方からは一言も先に口を開くまいと考えていた。 大工もやはり職人だ。 黙って下を向いたまま何も言わない。
 上席も部下よりいろいろ報告を聞いているらしい。 こちらから言い訳を切り出すのを待っている。 双方、黙ったまま五分以上経過したとき、上席がたまらず口を開いた。
 「浅利さん、どうしてこのような違反建築をしたのですか? 建築基準法と言う法律があるのですから国民として守って頂かなくては困りますよ」
 とにかく、まともに話し合って説得できる雰囲気では全くなかった。 しかし何か言い訳でも言はねばならない。 何か言葉を出そうとして一瞬パッと閃いた
自然と私の口から言葉にならない音が出た。
 「わわわわわたたたたたくくくくしーははは、しょしょしょしょくくくくくくにーんででででで(私は職人ですから法律のことは分かりません 今まで建っていたものと同じ)」
 ここまでを大吃りで話したのである。 ここまで話したとき、上席役人はたまらず口をはさんだ。
 「あなたのおっしゃりたいのは私は職人だから法律のことはわからない。 今までと同じ建物を建てたのに、なぜ悪いかと言いたいのですね。」
 私は黙って大きくうなずいた。
 「しかし、大工さんもこれは違反建築になるとあなたに話したそうじゃないですか。 工事に掛かる前になぜ私たちのところへ相談に来なかったのですか」
 私はまた、音を出した。
 「わわわわわたたたたくくくくくしーははは、ヒヒヒヒヒヒ(私は人前で話をするのが苦手です。 女房に全部)」
 ここでまた、上席が私の話をさえぎった。
 「あなたは人前で話をするのが苦手なので奥さんに全部任せているのだとおっしゃるのですね」
 私はまた、コックリ、コックリとうなずいた。 私の隣に座っていた大工は、私が大吃りで喋り出すと、ビクッと体を硬直させて、真っ青な顔でブルブル体を震わせていた。 これがまた私の演技を非常にリアルに真実味を持たせたのである。 上席の隣で、うんといじめてやろうと意気込んでいた若い役人は
 「これじゃ話にならん」
 というような顔をして一言も口を開かず途中からそっぽを向いてしまった。
 そりゃそうだろう。 主人が大吃りで話ができない分、これ以上に奥さんが機関銃でまくし立てたのでは今後永久にこの話し合いは成立しない。 ご主人では話ができないから奥さんに来て貰うというわけには行かないのだ。
 何が何でもこの場で解決してしまおうと上席の役人が考えたのかどうかは知らないが、後は私はほとんど口を開かずに済んだ。 上席の役人が私の言うことを一人で喋り、大工と相談をして二階の窓のひさしの長さを半分に削ることで決着してしまったのである。
 その間、私が、自分の都合の悪いことには首を横に振って
 「わわわわわ、そそ……、ここ……」
 と喋りだそうとすると上席は即座に
 「これではあなたは困るとおっしゃるのですね」
 と訂正してくれるのである。 そして都合のよい話に変わってくると、何度も頭を下げて
 「有難うございます」
 という意思を相手に伝えていただけなのであった。 ”この話が終わるまで、この場で知人にめぐり逢わぬように”と一番心配していたことを心に念じながら……。
 区役所を出た後、大工はしばらく口から言葉が出てこなかった。 そして、しばらくしてから私の迫真の演技に心臓が止まるかと思うほどビックリしたと告白したが、私が後でもう一度あの演技を再現しようと思っても、あの通りにはどうしても出来ないのである。
 そこえいくと迫真の演技を何度も繰り返して演ずることの出来るプロの俳優や女優は大したものだと感心させられる。 
                             昭和63年4月       
  
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