評論家は実技をしないものと先生を全うし
街にカラオケスナックなるものが現れて四年ほど過ぎた昭和五十三,、四年頃であった。 私の知人に北陸のある都市でカラオケ関係の仕事をしている人がいた。 中野の友人の事務所で紹介されたのである。 月に一度くらい東京に出てくるとのことであった。
それから一ヶ月くらいして私は昼食のために神田のラーメン屋にいたのである。 隣にどっかで会った人がいるな、と考えながらラーメンを食っていたら、彼も同じことを考えていたらしい、二人同時に
「あ、あんたは西浜さんのところでお会いした……」
それからまた一ヶ月位過ぎたある日、私は友人に誘われて赤坂のクラブへ出かけた。 私が初めて連れていかれた店である。 ピアノの伴奏で、馬鹿に演歌のうまい人が唄っている。
「へえー、素人にしてはうまい人だな……」
と思って顔を見たら彼であった。
その後二ヶ月くらい経って今度は目黒の大きな喫茶店のトイレでパッタリである。
月に一度くらいしか東京に出てこない人と半年も経たないうちに三度も偶然の出会いが続くと、何か特別に親しさがましその後、何度か飲み歩いたことがあった。
彼は職業柄さすがに歌はうまく私の先生格であった。
「だけど山崎さんも好きですね。 普通このくらい好きですと、もっとうまくなるものなのですよ。 しかし山崎さんは他の人が唄っている歌を評価する基準がしっかりしていますから、そのうちうまくなりますよ」
これではうまいと思っているのは自分だけですよと言われているのと同じである。 こんな勝手なことを言い合いながら付き合っていたのであるが、ある時彼が私にこんな話をした。
「来年二月の話なのですが私の方でカラオケ大会をひらこうと思っているんです。 山崎さん都合がついたら審査員として来てくれませんか? 冬の北陸もいいものですよ。」
おそらく彼は酒の上のはずみで出た言葉で本心ではなかったと思う。 しかし話のはずみとは恐ろしいものだ。 私も私で
「へエー、私が行ったら私を先生って呼んでくれる? それならぜひ行ってみたいな」
どうせ実現する話ではなかろうと思っているから私も勝手なことを言ったものだ。 すると彼は真面目な顔で
「なるほど、それは面白い。 じゃ山崎さんを評論家の先生と言うことにしましょう。 交通費は出せないが、向こうでの飲み食い一切負担するから遊びのつもりで来てほしい」
と話がまとまってしまった。 わたしも今更引っ込みが付かない。まあ知らない土地でのことだから先生なるものをやってみよう。 隠れた顔を持つのも面白いかもしれない。
二月十九日の日曜日であるから土曜日の夜行で行き日曜の夜行で帰ってくれば朝の七時半には会社に入れる。 少々体はきついが好きな道楽のためだしかしさすがに家内には本当のことは話しにくい。 仕方がないから得意先の協力会で北陸へ旅行ということにして出掛けたのであった。
市とは言っても北陸のことである。 会場は彼が関係するカラオケスナックでやるのだろうくらいに勝手に考えていたが、それでも評論家の先生と呼ばれるからには服装もあれこれ考えた挙句、冬だた言うのにわざわざ白のスーツを新調したのである。 やはり内心、気にしていた通り家内は今回に限り何でそんな派手な格好をするのかと不思議がっていたが
「今度の旅行では奇抜な格好をして、皆をビックリさせるのだ」
とか何とか言っていそいそと出掛けたのである。
ところが雪深き駅へ着き、迎えの車で会場へ案内されてビックリ仰天。 市立の立派な公会堂であった。
ステージには審査委員席が設けられてある。 そして私の席には審査委員長音楽評論家・山崎進也先生と大書されてあるのだ。 全く彼も念が入っている名前の文字が違うのは隠れた顔、ペンネームと思えば良い。
優勝者には大きなトロフィーの他に副賞としてカラーテレビ、その他準優勝者には電気掃除機等の賞品が花と飾られている。 客席へと目を移せばさすが二階席には人影はないが、一階席には子供、お年寄りを含めて出場者の身内関係で一千席がほぼ満席の状態である。
出場者控え室には練習用のカラオケの機械二台が置いてあり、皆懸命の練習なのだ。 それが皆、粒揃いで下手なプロ顔負けである。
私があまりの盛況さに驚いていると、彼が後ろから寄ってきて笑って説明した。
「ここは冬の間、何も娯楽がないのです。 だから飲んで唄うのが一番の娯楽なのですよ」
なるほど、皆うまいはずである。
大会は一時より始まり五時まで掛かった。 大会に先立って主催者の開会の挨拶に続き、司会者の
「本日の大会のために東京より審査委員長としてわざわざお出で頂きました皆様お馴染みの山崎進也先生に一言ご挨拶をお願いいたします」
との紹介で
「今朝、こちらに着きまして、まず町のきれいなのにビックリし、この会場の立派さにビックリし、先程来、出場者の皆さんの練習を聞いていて歌のうまいのにビックリし、こちらに来てもうビックリすることばかりです。 私はもしかしたらビックリ市というところへ来てしまったのかなと驚いています。
今までいろいろカラオケ大会の審査員を務めて参りましたが、本日のように客席の皆様も出場者の皆様も熱の入っている大会は初めての経験です。 本日の審査はこれは大変だと覚悟を新たにしております」
と言うような挨拶をして万雷の拍手を浴びた。 彼も役者ならこちらも役者になりきれと思ったのである。
まず地元より、NHKの″のど自慢大会″にも合格した自他共にうまいと許す四人が別格として模範出演し、次に新人歌手(当時は)の瀬戸内かおるが、三曲ほど唄い、その後彼女は審査委員の一人として私の隣の席へ着いたのである。
私はカラオケ大会だからカラオケのバンド演奏への乗り具合を第一とし、歌詞の理解度、音のとり方、態度、発音の五ポイントをそれぞれ十点法で採点を行った。
素人のカラオケ大会の審査で重要なことは、自分が他の人よりなぜ順位が低いか?を明確に説明できる審査をすることなのである. 自惚れを持って出場してくる素人の実力は紙一重である. ところが各人それぞれが俺はあいつよりうまいと思っているから始末が悪い。 だからポケットに手を入れて唄う人は態度で減点し、採点講評のとき
「歌の大変うまい人でポケットに手を入れて唄っている人がいましたが、こういう態度は自分の歌を聞かせたやるという態度です. プロならこれでも良いと思われますが今日の大会は素人が聞いて頂いて、審査を受けるという態度が必要と思はれますので、態度の項で減点しました。 皆さん実力は紙一重ですのでうまい人が順位が低いのは、こういったことが加味されていることをご理解ください」
と一言説明しておけば皆さん納得するものなのである.
審査委員6名のうち、三名は名前だけの審査委員で結果は我々三名に任された。
別室審査の結果、私と彼と瀬戸内かおるとの差は、ほとんどなかった。
大会が盛会裏に終了し、私は零時三十分発の最終上野行きで帰ることにした。上野着六時四十分だから充分会社の始業時間に間に合う.。
私は大任を果たし、ほっとした気分であった。 最終列車に乗るまでにはまだ七時間以上時間がある。 ところがこの七時間が大変であった。
出場者三十四名は各スナックから推薦を受けた、言うなれば名誉をかけた選手である。 十六のスナックはとても回り切れない。 上位入賞者の出た五ヶ所を歩くことにしたのであるが、どこへ行っても”先生” ”先生”と下へも置かぬ歓待振りである。
出場者控室には「出場者禁酒」と大書してあったが、上位入賞者のほとんどは、こっそり酒を飲んでいたと告白した。
「だって先生、我々が唄うときは、こういう場所で酒を飲んでから唄うのですよ。 それがしらふで唄えと言われても、どうも調子が出ないのです。 そこで、酒屋へ走って行きウイスキーを買ってきてみんなで回し飲みをしたんです。 後半にに入賞者が多いのはそのお陰だと思います」
なるほど、言われてみればそれも一理である。
十時半頃着いた、優勝者と準優勝者を出したスナックでは喜びが最高潮に達していた。 我々の行動が刻々と伝わり、今か今かと待っていてくれたのである。優勝した女性が唄い、準優勝の男性が唄い、後には今日はアガッて失敗したが、ここで先生にもう一度聞いてほしいという歌手が続出し、果ては今年は都合で出場できなかったが来年はぜひ出場するから聞いてください、と大変な騒ぎである。 そして誰もが
「先生の寸評を聞かせて下さい」
と言うのである。 私は
「今日はもう酔っ払っているから仕事抜きだ。 今日はもうかんべん。かんべん」
と言いながら結構エラそうなことを言ったように思う。
先生も唄え唄えと、どこでも勧められたがこの状態ではさすがの勇気も失せて
「評論家と言うものは人の批評をするだけで、実技はしないものだ」
とか何とか言ってカラキチの私でも、とうとう一曲も唄わず、先生を全うして帰路に着いたのである。
駅まで見送りに来てくれた彼に私は小声で
「俺の先生は一回きりのもので二度は通用しないよ」
というと、彼もうなずきながら
「先生、そりゃそうだ。 だけど先生を最高にうまくやってくれたね。 俺もお陰で二十万ほど費用が助かった」
二人で大笑いすると、見送りに来てくれた周りの人は二人がよほど楽しい話をしたのだと思ったのか、釣り込まれて一緒に大笑いをしてくれた。 あんな楽しい思いをしたのは生まれて初めてであり、恐らくこの先もないであろう。
今でも夢の出来事のように思われる。 しかし、あの夢の出来事が現実にあったのだという証に、あのときの採点表は大切に保管してある。
昭和63年10月



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