十年一区切り
  学会発表もの 
 家内が悪性淋巴腫だとの診断を受けた。 十二年前の平成三年十一月のことである。 どうも近頃ピンク色の下り物があるが、体調があまりにも良くて逆に心配だなどと贅沢なこたを言うものだから
 「すぐ近くに総合病院があるのだから診察を受けたら? 1ヶ月くらい前に上野医院でガンの検診を受けて何も問題が出なかったのだから心配ないと思うよ」 
 私たちもこの年になると血圧だ、血糖値だ、リューマチの疑いがあるの、ないのといろいろ問題を抱え、こういった相談は大きな病院より町医者のほうが親身に相談に乗ってもらえると上野先生に診て頂いているのである。
 特に家内は上野先生とは相性が良いらしく、随分勝手なことを言い合っているようであった。 診察も私は3分くらいで終わるのに家内は20分も30分も議論を闘わせているのである。 
 そんな状態で、1ヶ月位前に薦められてガンの検査を受けたのだが、何の問題も出なかったので、私としては全く心配なぞしていなかったのであった。
 総合病院の婦人科担当医の話では
 「ポリープの先が炎症を起こし、そこが出血しているのです。 ポリープは簡単に取れますから取ってしまいましょう」
 と切除したくれたのである。
 今の医学ではこういったポリープなどを取り除くと、必ず専門機関で検査を受けるらしい。 一週間たって結果を聞きに行ったら、担当医から、
 「悪性淋巴腫か白血病の疑いが出ています。 次の週に結論が出るでしょうから来週又、来て下さい。 もしその時は、早期発見ですから早い処置をすれば心配ないと思いますよ」
 との話であった。 私は 「そんな馬鹿な」 と気にも止めなかったが、娘たちが心配して当日次女の、るみ子が付いて行ってくれた。 すると11時頃になって私にるみ子から涙声で電話が掛かってきた。
 「お父さん、お母さんが大変なの。 悪性淋巴腫で大手術をしなければならないんだって。 お父さん、すぐ来て」
 「え! まさかぁ、そ、そんな様子ぜんぜんなかったのに……とに角すぐ行くよ」
 歩いて二分と掛からぬ場所だ。 行ってみると、婦人科の担当医が満面笑みのニコニコ顔で私を待っていた。
 「いやー、ポリープから悪性淋巴腫を発見できたのは学会発表ものですよ。 早期発見ですからすぐ手術をしましょう。 子宮や卵巣を取ってしまえば転移の心配もありません。 手術は十二月十四日にしましょう。 それまでにいろいろ検査をしますから。 本当に早期発見でよかったですね。 それにしてもポリープから悪性淋巴腫が発見できたのは学会発表ものなんですよ」
 何よりも学会に発表出来るということが嬉しくてたまらないと言う様子で、半べそ顔の娘とは対照的に満面笑みで小躍りでもしたい態度であった。 
 家内は淋巴腺やその他に転移の兆候がないかと内科の医師の診断を受けているところであった。 内科の先生は
 「おかしいですね。 どこにも何の兆候もありませんよ。 何かの間違いじゃないですか? まあ、もう少し様子を診ましょう。 心配すること無いかも知れませんよ」
 婦人科の先生は舞い上がっているが、対照的に内科の先生が冷静でいてくれるのがせめてもの救いであった。
 だが家内は婦人科の先生より、早期発見で幸せなのだ。 早く処置してしまえば全く心配ありませんよ、と説得されるものだから、本人はすっかりその気になり、医者を信じて手術を受ける決心をしたのである。
 
 
喧嘩相手は相談相手
 それにしても十二月の半ばの手術では、せめて入院手術を受けるまでは家内のそばにいて、外出は控えようと決心し十一月より始まった忘年会や定例会を一切キャンセルしたのであった。 ところがここに強い味方が現れた。 それは家内の主治医の上野先生である。 上野先生は
 「手術は何も急いですることはない。 よく考え、よく検査を受けてからでも遅くはない。 その病院に悪性淋巴腫の診断が出たプレパラードを貸し出してほしいと言えば駄目とは言わないから、まずそれをガン研なりガンセンターなどのガン専門機関の裁定を受けるのも一つの方法ですよ。
 それと手術にしても、出来れば専門病院のほうが良いですよ。 子宮・卵巣の摘出手術はそれ程難しい手術ではありません。
 しかし、その後、放射線の治療があるというのであれば、これが大変なのです。 人それぞれ個人差があり、放射線の量の加減次第で後遺症の問題もあります。
 ガン専門病院ならこの扱いはなれているから安心だと思いますよ。 手術はこういうところで受けたいと申し出れば、必ず適当なところを紹介してくれる筈です。 私が紹介しても良いですよ」
 と熱心に説得してくれた。

 
 私には羽山と言う強い味方があったのだ  
  ここで私もハタと気が付いたのである。 私の高校時代からの親友で病理を専門に担当している医者の羽山がいるのだ。 我々の仲間が困った問題に直面すると羽山に相談するのだ。 羽山の診断は我々にいつも明快な答えを出してくれているではないか。 この度は気が動転して羽山に相談するのをすっかり忘れていた。
 早速、羽山の勤務する病院へ電話し、彼に事情を聞いてもらったのである。
 「ウーン、ポリープから悪性淋巴腫の発見か…うーん、全くないとは言えないが、確かに稀なケースだな。 俺も永いこと顕微鏡を覗いて病理をやっているが、まだこのケースにぶつかった事がない。 そうだ、俺も参考にしたいからぜひ見たい。
 見せたい先があるからプレパラードを貸してほしいと言えば応じてくれるから、借りて来てくれ」
 「何だ? そのプレパラードって何だ?」
 「昔、学生時代にガラス板に何かとって顕微鏡で覗いたことがあるだろう。 ガラス板の標本のことさ。 見せたい人がいるから貸し出してほしいと言へば貸してくれるよ」
 と簡単に言うけれどなんと話したらよいのだろう。 翌日、決心をして病院へ出かけてみた。 
 ところが彼は、私と話しているうちに科学者としての探究心がムクムクと頭を持ち上げて来たらしい。 山崎に任せていたのではいつになるか判らない。
一刻も早く実物を見たいものだ。 彼は直接この病院の担当医へ電話をした。
 病理の専門医が内容を細かく聞いてプレパラードを貸し出してほしいと言われて、この病院の婦人科担当医はオッタマゲた。
 この病院が検査を依頼したのは私設の検査機関であった。 このように専門医が出てきたのでは、私設の検査機関でことを進めてはまずいと思ったのかは判らないが、羽山と私共に出された結論は、
 「ちょっと待って下さい。 私共の病院とつながりのある大学病院で再検査をします。 奥さんも大学病院でいろいろ検査を受ける事になりますがよろしいでしょうか?」
 との話に変わってきたのである。 
 こうなると検査を受ける我々にも迷いが出てくる。 上野先生も羽山も、手術を受けるならガン専門病院のほうが良いとの意見は一致した。
 検査が二週間ほど続いたころ、私も掛け替えのない家内のことであるので少しでも安心の出来る方法をとりたいと病院へ出向いた。 
 「いろいろ考えたのですが、手術はガン専門の病院で受けさせたいので、ガン研かガンセンターを紹介してくださいませんか?」
 「あ、山崎さん、今ちょうど大学病院のほうから連絡が入りまして、どうも手術はしないで済みそうですよ。 まだ確定には一週間くらい掛かるそうですが、悪性淋巴腫に良く似てはいるがその他の条件からも、どうも違うようだと言ってきました。 まず手術はしなくて大丈夫のようですよ」
 と全くガッカリしたと言う表情で話すのだ。
 「それ見た事か、私の思っていた通りじゃないか」
 私は小躍りしたい気持ちを抑えて家に飛んで帰り、家内へ伝えた。
 「あらそう、良かったわ。 だけどまだ一週間は掛かるのね」
 「内示を患者に伝えると言う事は間違いないということだよ。 内示の取り消しなど聞いたことがないから」
 羽山にも伝えたところ、羽山からは
 「山ア、婦人科のその先生に誤診だと言う言葉を使うなよ。 その先生が悪性淋巴腫の診断を出したのではないから」
 「だけどあの若い先生『子供を育て上げた女の人は子宮や卵巣は取ってしまっても関係ないですからね』と言っていたよ。 家内は『冗談じゃないわよ。 私の廻りに、そんなことを言われて手術をした後、体調を崩している人が何人もいるわよ』と怒っていたよ」
 「どうも若い医者は、患者の気持ちを考えずにストレートに物を言うからな。俺なんかも若い頃はそのような失敗をして来たように思うよ」
 と言ってくれた。

  
私の長所、妻の長所
 
私は家内が手術をせずに済んで良かったと単純に喜んでいたが、家内の精神状態は相当複雑であったらしい。 早期発見で幸せだったのだから、早く手術を受けようと決心した時は全く心の動揺はなかったのに、『手術をしないで済みそうだ。 結論が出るまで一週間待ってほしい』 と言われた一週間は
『やっぱり手術は必要です』 と言われるのではないかと、逆に精神的に不安定となり眠れぬ日が続いたと言う。
 私は全くの極楽トンボで家内の不安などお構いなく、早速その日から夜の付き合いを再開したのであった。
 平成三年頃はバブルの最盛期であり、私も若かったので夜は大変忙しかった。 帰りの遅いのが三日続いたとき、家内から
 「貴方はいい気持ちで毎晩遊び歩いているけど、貴方は私のことを何だと思っているのよ」
 「もう手術はしなくて大丈夫だと安心したから…」
 「だけど、結果は一週間先と言われたのでしょう。 その時になってやっぱり手術をしなければならないと言われたらどうする積りよ。 私、そうなったら怖くて手術なんか受けられないわよ」
 「……? 和子がそんなに精神的に不安定になっているとは全く考えもしなかった。全く申し訳ない。今後は付き合いを絞って外出は控えるから…」
 自分が悪いとなれば素直に一生懸命謝るのが私の長所である。 また、これでアッサリ許してくれるのが妻の長所でもある。
 しかし、その後十年近くまでは、ガンが再発したと言う夢や不安が心をよぎったりして苦しい思いをしたらしい。
 今まで、うっかりこの話しを書いて恐怖心を思い起こさせてはと考えてきたが、十年過ぎて、やっと平静に話が出来るようになって来たようである。
 十年一昔と言うが、人生の中で十年毎に一区切りが巡って来るようである。
詳細はこちらをクリック
腰痛の方に朗報!