昔、 アラビヤの皇太子が大英帝国を公式訪問したときの話である。 紳士・淑女の居並ぶ宮殿の大広間を皇太子は会釈をしながらしずしずと歩き、 正面テーブルのソフアーへ腰を下ろしたのである。 歓迎のオーケストラは一段と大きな音で甘いシューベルトの曲を演奏し始めたのである。
すると皇太子はポケットより皮袋を取り出すとまばゆいばかりの宝石をテーブルの上にざらざらとあけた。 皇太子はその仲より大粒のさファイヤをつまむとオーケストラの指揮者にプレゼントしたのである。 指揮者は感激に身を打ち震わせて演奏の指揮を続けたのであった。
やがて皇太子の退出の時間がきて従者を従えた皇太子が大広間の中央に差し掛かったとき、 どうしたはづみか皇太子の手にした皮袋の紐が切れ皮袋の中の宝石が床一面に散乱した。 従者が慌てて拾おうとするのを皇太子は一言
「放っておきなさい」
皇太子の姿が広間から見えなくなった直後のことである。 この居並ぶ紳士淑女がプライドを捨てて、 あられもない姿で床に散らばっている宝石に群がり集まったのは・……。
しかし、 この気位の高い紳士淑女は翌朝の新聞を見て愕然とした。 この床に散らばった宝石は指揮者にプレゼントしたものを除いて真っ赤なニセモノだと書いてあったのである。
先日、ある貴金属宝石店より半期に一度と言う特別感謝セールのチラシが送られてきた。 この店は確かに安いのだ。 安い価格の上に特別30%オフと言うのだからデパートの半値近い。 たまたま義理で積んできた金が12万なにがしになって手元に戻ってきた。 予期せぬ臨時収入である。 なんに使おうかと迷っていた矢先のことでもある。 金製品は今が安いときだし買う買わないは別として見に行ってみようと出かけてみたのであった。
見るだけと思っていたのだが現物を見るとなにか買いたくなる。 まして十二万の余分な金が懐にあるのだ。 しかし石の入った指輪となると高い。 いろいろ考えた末、家内にはこれ、 上の娘にも、 下の娘にもと想定してイヤリング三つを買い求めた。
その夜、 私は友人との付き合いがあり、 当然の成り行きで女性が五人ほどいるカラオケスナックへと移動した。 たまたまこの店はすいていた。 我々二人で五人の女の子を相手にワイワイ騒いでいるうちにポケットの中のイヤリングを女性たちに見せたくなった。 家内や 娘たちに渡す前に女性がこういったものにどういう反応うを示すか知りたくなったのである。
ところがこれが大変であった。 女性は装身具にこんなに興味を示すものなのであろうか? 特にブドウが下がったピアスは一番安く二万二千であったが、 若い子に一番人気があった。私はこんな小道具でこんな楽しい思いが出来ることを始めて知ったのである。 家内の誕生日も結婚記念日も相当先だ。 すぐ家族へ渡さず持って歩いて楽しむに限る。
私のコチンコチンに堅い知人にも
「こんなものを持って歩くと若い女の子にすっごく持てて楽しいですよ」
と自慢して見せるのだが、 中年過ぎの男性はイヤリングなるものを手にとって見るのは生まれて初めてだと言う人が意外と多いのだ。
「だけどそのうち、 これをもって歩いているのを家内に見つかり、 取り上げられてしまうと思いますが」
二ヶ月くらい過ぎた頃であった。 得意先の協力会の会合が飯能であり、 いつものように二次会へと移ったのである。 二次会となれば遅くなる。 夜中の二時、三時に帰るより飯能に泊まった方が私も楽だし家内も楽だろうと
「今日は飯能に泊るから」
と電話し、 快く家内の了解を得たのである。 ところがいつものペースとは変わり九時頃終了してしまったのであった。
地元の人たちはまた、 別の店へ行くと言う。 東京からの四人はこの時間なら飯能発の特急レッドアロー号が間に合うから帰ろうかということになった 池袋へ着き山手線に乗り換えて新宿に近付いたころ、 まだ時間は早いし新宿で飲み直そうかと内田氏と話がまとまってしまった。 飯能から出てきて新宿でスナックを開いているママがいるのだ。 当然、いつもと同じように遅くなった。 新宿では当時は一時頃でもタクシーはつかまらない。
「どうせ今日は飯能泊りということになっているのだからホテルでも見つけて徹底的に遊ぶか」
と新宿にある会員制のホテルへ電話をしたら運良くツインが一室空いているという。
「一人二千円で泊れるのならタクシー代より安い。 寝ている女房うを起こさなくても良いし、 よっぽど気が楽だ」
高い酒代につくのをすっかり忘れ、 ものすっごく儲けた気持ちで翌日、 素知らぬ顔で帰宅したのであった。
一週間ほど過ぎたある夜、 家内が血相を変えて私に詰問した。
「あなた、 これは何よ!」
見ると新宿のホテルの領収書である。 この領収書には二名様と書いてあるのだ。 私はさして気にもせず財布の間に挟んでいたのである。 そして悪いことにこの財布をポンと台の上に置いていた。 家内が片付けようと手にしたらこの領収書がパラリと落ちたと言う。 私は家内をなだめすかしながら飯能のイキサツを懸命に説明したのであるが
「これはいくら一生懸命弁解しても信じてもらえないぞ」
と観念したのであった。 すると家内からさらに、 思いもかけぬ鋭い追及が迫ってきたのである。
「じゃあなた!、これはどういうことなのよ!」
私の目の前に並べられたのは例のイヤリングの三点であった。
「こ、これは何かの折、 か、和子にプレゼントしようと買っておいたモノなんだ。 特にこれは和子にと思って買ったやつで他のモノより倍近い三万九千円もしたんだよ。 デパートで買えば六・七万はするんだから」
「どこかの女の人に買ってきたモノなんかいらないわよ」
そこへ娘のるみ子が部屋へ入ってきて
「あーら、、 お父さん、 浮気なんかしちゃったんだ」
「今、 お父さんと大事な話をしているんだから、 るみ子さんは向こうへ行っていなさい」
だが、 るみ子はそんな言葉を気にせず、 近ずいてくるとこのイヤリングを目ざとく見つけて
「あーら、 すごい。 これはみんな素敵だけど特にこれがいいわ」
と耳につけて鏡に映して喜んでいる。
「それはお母さんに買ってきたものなの! るみ子さんのはこっち」
「あなた、 そんなうまいこと言っても信用できないわよ。 うちには娘二人で女が三人いるけど耳に穴を開けているのは誰もいないじゃないの。 それなのにピアスが入っているのはどういう事なのよ。家族に買ってきたなんてそんなの嘘よ」
確かに三点のうち、 一点はピアスなのだ。 クラブやスナックの若い女の子は、 ほとんど耳に穴を開けているから、 この金のブドウが垂れ下がったピアスが一番人気があったのである。
そう言えばこの二週間くらい、 この三点セットが見当たらなくなり、 家内に見つからぬように、 どこかへ仕舞いこんだかとあちこち捜していたのであった。 すでに家内の手に渡っていようとは夢にも思わなかったのである。
るみ子は丸い太くて大きい金のイヤリングを耳につけて三面鏡の前で右から左から眺めながら
「お母さん、 お母さん、これどお? 似合う?」
「るみ子さん、 欲しかったらあげるわよ」
あれれ! じぶんでは「いらない」と言っておきながら私の物を勝手に「あげる」なんて言っちゃって……。 しかしこの際、 間違っても口に出せる立場ではない。
「わーい、 わーい、 貰っちゃった。 貰っちゃった。 貰ったら私の物よ」
だが、 この進退極まった苦境にるみ子が割って入ってくれたお陰で私は九死に一生を得ているのだ。 我が娘ながら全く素晴らしい成長をしたものだと私は感謝の気持ちで一杯であったのである。
娘のるみ子は貰ったら喜んで部屋から出て行ってしまった。
「この前から、 このところあなたの様子がそわそあしていて、 おかしいと注意していたんだから。 イヤリングが私の手に渡っていたなんて分からなかったんでしょう」
「いや全く。 どこに仕舞い込んだかと捜していたんだ。 和子に聞くわけにもいかないし」
「全く間抜けね」
家内は笑い出してしまった。 家内を説得できる千載一遇のチャンスが今だ。
「バレてまずいことだったら充分注意をするよ。 ホテルの領収書だって後ろめたいことがないから、 つい粗雑にあつかったんだよ。 だけどこれは誤解を招くよね。 いくら説明されたって納得できないよね。 今後は誤解を招くような行動は慎むから」
「あなたのこそこそが始まり出すと何かあるんだから」
さすが三十年から連れ添っている女房である。 私は自分ではいとも自然に名優のごとく振る舞っているつもりだが、どうも家内は全部お見通しの様子である。 孫悟空が天界を自由奔放に暴れ回っていたと自分では思っていたら、 お釈迦様の掌の内であったと悟るのと同じで、所詮、 私は女房の掌の上でしか遊んでいないということであろうか。
「どうせあなたは若い女の子の前でカッコつけて遊んでいたいのでしょうから、 これは返すから持っていなさいよ」
金のブドウが下がったピアスは突き返されてしまった。 こうなると持って歩いてもなくすわけににはいかぬのだ。 うっかりなくしたばかりに痛くもない腹を探られ、 また言い訳を考えるのはかなわない。 しかし、 あのワイワイもてる味も忘れられない。 私は決心がつかず毎日悩み続けているのである。
金のイヤリング
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