ヌード写真騒動記
 ある女優の写真集が近々発刊されるとの広告がサンプルのヌード写真と共に一流新聞に掲載された。 価格は四千五百円で予約を受け付けるとのことだ。 これを撮影した写真家もモデルとなった女優も今話題の超一流でありそれでこの価格は絶対に安い。 この値段なら今時の日本人なら学生の小遣いでも購入可能な価格であろう。 広告の写真も胸がドキンとするような見事な出来栄えであり、これは相当の発行部数を当てこんでいるなと直感した。 
 私自身、営業を生業(なりわい)としている者にとって、他の人より話題を一つでも多く持つことが勝つか負けるかの分かれ目になると思っている。 
 私がしげしげと新聞広告に見入っていたらそれを察した家内が
 「あなた、早く予約したほうがいいわよ」
 と言ってくれる。 有難い。 早速予約申し込みをしようと決心したのである。 そして同じ予約を申し込むのなら懇意にしている松内さんに申し込もうと思い立った
 松内さんは私より年はずーっと若いのだが、商工会議所の目黒支部が主催している異業種交流の勉強会の会長であり、真面目な人で人柄も良く、多才で頭もキレ、その上、会の運営もテキパキと上手で私が尊敬している人の一人である。 彼は社長の息子で会社の専務を務めており東京営業所を任されているのだが群馬県の本社は大きな本屋さんだと聞いている。群馬県より本がまた、東京へ送られてくるのであれば、発売日の十一月十三日より一日くらい、遅れるかも知れぬが、これはこの際、致し方なかろう。 そんなことを考えながらグズグズしていたら三日も過ぎてしまった。
 予想していた通りテレビや週刊誌等のマスコミは、この写真集の話題で大変な騒ぎである。 我々の身近なテレビがこれだけ騒ぎ立てて話題を提供してくれたらすごいPRだ。 
 日本の経済もバブルがはじけて先行き不透明だし、総理大臣も宮沢さんに代わって新政府が誕生し、その新政府の長の宮沢さんが日米貿易摩擦にどう対応するのか。 ソ連や中近東は再びいつ爆発が起こらぬとも限らない。 民族問題では血で血を洗う戦争が続いている。 一歩間違えれば世界が破滅するような難問が山積していると言うのに、日本の民間放送テレビは平和ボケしたバカの集まりじゃないかと思われるような報道の仕方なのだ。 
 しかし、そうだからと言って私個人が世界的危機にどう立ち向かっても何とも致し方のないことでもある。 この際、良いものは良いのだから美しいものを見て心を休めるのも一得だ。
 テレビではすでに各書店に相当の予約が集まり、13日の発売日にはごく一部の人にしかこの本は渡らないと報じている。 松内さんへの予約が遅れて「シマッタ」と思っていたらなんと幸いなことに松内さんが私の会社に立ち寄ってくれた。
 今まで、来たこともない人がこの時期に偶然立ち寄ってくれると言うのは、これ全く天の助け、神仏のご加護だ。 早速
 「松内さん、これはいいところへ来ていただいて全く有難い。 今、話題の本を予約したいのですが」
 「え? 何のことですか?」
 「松内さん、何のことですかはないでしょう。 トボけて……。今、話題沸騰している本ですよ。 松内さんのところは本屋さんなんでしょう?」
 「本屋をやっているのは群馬県の本店の方なんですよ」
 「群馬県でも栃木県でもいいから、ここからすぐ予約の電話を入れて下さいよ。 この電話使って……」
 「この時間ですと電話に出るのが女子社員なんですね。 私が欲しくて電話していると間違われるから……」
 全く……このくらい堅いのも骨董的な芸術品だ。 私よりずーと若いのに芸術というものが理解できず、ヌードと言えば卑猥なものと思っているのだろうか?
 「とにかく電話してみてよ。 得意先から電話していると言えばいいでしょう。 女子社員で話しずらいのなら私が代わってお願いしますから」
 これは何が何でも目の前で電話してもらわねば危なくてしょうがない。 後でなどと言われたらどうなるか分かったものでない。 一気にまくし立てて電話してもらった。
 彼が心配していた通り電話口に出たのは女子社員であった。 彼は店長などの男子社員を呼んでくれるように言うのだが皆外出していないようであった。 彼は仕方なく意を決して
 「ちょっと念のために聞くけど、宮沢りえの写真集、予約入っているの?」
 「ええ、もうすでに二百冊を超える予約が入っています。 まだこれからも予約が来るでしょうから、とても第一回の配本ではごく一部の人にしか渡らないと思います。 これからの予約では相当先になるのではないでしょうか」
 この言葉を聞いて彼はやっと容易ならざる事態を察知した。 と同時に本来の優秀な経営者の能力がよみがえったのである。
 「今、大事な得意先へ来ているのだけど、何とか三冊だけその中へ入れてよ。 そしてこの三冊は第一回の配本の中へ必ず入れてください。 大切な得意先から電話しているのですから、お願いしますよ」
 電話を切ってから彼は私に
 「いやー、すごいんですね。 こんなことになっているとは夢にも思わなかったですよ。 山崎さんが私をせきたてる理由もよく分かりました。 今、お聞きのように山崎さんのものは間違いなく確保しましたからご安心下さい」
 私も意地悪く
 「私のために三冊も注文してくれて有難うございます。 三冊、私が頂きます」
 彼は目を丸くすると、慌てて
 「いや駄目です駄目です。 勘弁してください。 この様子だと、それこそ大切な得意先からどうしてもと無理をいわれそうですから…」

 我が社の得意先の建設会社が施主より20億円ほどの工事を請け負っている。 工事の進み具合だと中間金を請求できるのは1月末の頃なのだ。 ところが年末の社員の賞与資金やその他の支払いで12月の初旬に3億から欲を言えば5億の金が必要だ。 経理担当者は年末資金として銀行より、つなぎ資金の融資の手続きをすれば良いことなのだが金利の高い時代だし、1月の末には7億からの中間金がもらえる契約だから、その中の3億か5億を先払いしてもらうように交渉できないかとの話が営業部に回ってきた。
 営業部としても自分たちの会社のためだ。 たとえ一ヶ月半といえども五億の借り入れともなれば何百万と言う金利が掛かるのは十分理解できる。 ない知恵を絞り、もっともらしい理由をつけて施主の会社へ交渉したところ、長い取引の信頼関係が幸いし、五億円の金を引き出すことに成功したのである。
 ところがその折、施主の重役さんから
 「うちも無理を聞くのだから、おたくもうちの無理を聞いて欲しい」
 と、一つの条件を示された。それは
 「宮沢りえの写真集を一冊持ってきて欲しい」
 との話であった。 どんな難問が飛び出してくるかとヒヤヒヤしていた担当者は内心、飛び上がらんばかりに喜んだ。 たった四千五百円で済むことなら安いものだ。 営業担当者は二つ返事で承知したのである。 喜び勇んで帰社して報告すると経理はもちろん社長も大喜びで
 「一冊などケチなことを言わず、十冊でも二十冊でも持って行け」
 ところが本屋に聞いてみると12月末でなければ手に渡らぬと言う。 仕方なく施主の会社に出向き
 「十二月の末までには持ってまいりますから、それまでお待ちください」
 とヌケヌケと言ったら重役さんから烈火のごとく怒鳴りつけられた。 
 「12月の末なら自分で買っている。 無理を頼むなどと言うわけないだろう。 お前たちは何を考えているのだ。 何が何でも発売日の13日に持って来い。 それが出来なければ五億円はパアだ」
 そりゃ当たり前だ。 誰でもが持っているものを持っているのなら何の価値もない。 安いモノでもごく一部の人しか手に入らぬものを持つから価値があり自慢が出来るのである。
 担当者は青くなった。 営業部員全員で走り回ったがどこの本屋でも断られてしまう。 とにかく絶対という確約が必要なのだ。 多分などと言う言葉を信用し、13日に手に入らぬときは五億円がパアになってしまう
 社長命により社員はもとより、下請けの取引関係者を含めた人達にまで写真集を予約している者がいないかとの調査が始まった。 こうなると、どの話も信じられなくなるそうだ。たまたま私が予約した話をこの会社の人に面白おかしく吹聴してあった。 この話が上層部に伝わり常務さんが私を訪ねてみえた。
 「山崎さん、いろいろ手は打ってあるのだが、どうしてもの場合は、うちの方で群馬までとりに行くから、山崎さんの本を何とかうちの会社に回してくれませんか?」
 大切な得意先の頼みだ。 いやとは言えぬ。 
 しかし、幸いなことに、この会社にも一人、芸術を理解する者がいて、それが確実な線での予約であることが判明したのである。 この人のお陰で私の貴重なる一冊は難をまぬかれて私の手元に残ることになったのであった。  
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