江口週君を祝う会へ 

  「おめでとう週ちゃん」                 豊多摩高三期  諸兄
 
 今月は君と田中春弥先生、豊多摩高校に関係したお祝いが二つもあるというのに、共に出席できないのは、我ながらあまりにも不甲斐ないことだと思っている。 豊多摩高校1年生の秋、風の又三郎ではないがヒューッと君が僕の前に現れて以来、同じ芸術の道を志すことになり50年、紆余曲折があったにせよ志を貫き通せたのはお互いに嬉しいことだ。
 その間、君は僕にとっていつも兄貴分的な存在だったな。
 豊多摩時代、君は授業を終えると予備校ではなく大人の集まる絵画研究所に行き、長髪をなびかせて裸婦を描いていた。 これは僕の初めてのカルチャーショックだった。 僕も負けじと始めると、今度は全国的な学生絵画コンクールに出品して大きな賞をとり、又驚かす。冷静なところもあって、芸大受験の直前になって 「彫刻の方が自分に向いている」 と言ってサッサと彫刻科に入学してしまった。 一年遅れて僕も油絵科に入ると、君はもう一端の学生活動家のような顔になって、あの二重橋前のデモに引っ張るといった具合。 尤も芸大卒業だけは君は一年待つという友情厚きところも見せたくれた。
 アルバイトも君とは数々やった。 コケシの顔描き、厚生省の性病予防の看板作り、デパート、ショーウィンドウの飾りつけ、君は又 浅草松屋の 「常盤座」の照明係もしていた。 渋谷の映画館のチラシ作りと広告取りは大変だったけど、お互いに生活の糧として助かった。 そう、子供作りも兄貴分らしく君が先だった。
 こういう生活から脱皮するため僕は外国に出たので、その後数年間の君の実情は分らないが帰国してみると、君は立派な宝石装飾デザイナーとしても名を知られるようになっていた。 和光を始め、外国の宝飾展にも出品する多才なところも見せていた。 これは田中先生以外、今日出席の諸兄には初耳の話だろう。
 国立に仕事場をもち彫刻制作に力を入れ始めた頃、その仕事場に売れない彫刻が幾つも転がしてあった。 その中の一点を安い金額で譲ってもらった。 何年か経ったある日、僕の家にニューヨーク近代美術館副館長のリーバマンという人が現れ、アメリカで現代日本の彫刻家の巡回展をやりたいので譲ってほしいといって持っていってしまった。 本当は僕の好きな作品で手放したくなかったが、僕の選んだ作品が世界の場に取り上げられたことは、今となっては嬉しい事柄の一つになった。
 それからの君は彫刻家としての順調な歩みを続け、数々の賞をとり、今日の文部大臣賞に繋がることになった。
 週君と僕は、絵の教師にならなかった。 又、日展等の公募団体に所属しないで在野を通しているという共通点がある。 二人で決めたわけではない。 豊多摩
高校時代、田中先生が 「君たちは僕みたいに教師になるなよ」 「日展になぞ出品するなよ、苦労するぞ」 とよく言われたことが案外潜在意識に残っていたかもしれない。
 まだまだ書きたいことはたくさんあるけれど、取りあえずこのような江口週君の一面を今日出席の諸兄に披露して、これを肴に楽しい夜を過ごして下さい。
                                   進藤 蕃
       平成10年2月16日