思い出酒
 人に感謝をされたり、喜ばれるようなことをした後は大変気持ちが良いものである。
 昭和四十六年頃であったと記憶しているが、世界見本市、万国博覧会エキスポ70後の不景気で苦しい時代が続いた。 昔は日本経済の底が浅かったから東京オリンピックにしろ、万博のエキスポ70にしろ大きな国家的事業の後は必ずその反動で不景気が来たものであった。
 そんなある日、古い知り合いの秋元さんが訪ねてきたのである。
 「全く不景気でスクラップの商売をしていても、毎月赤字続きで参ってしまう。 油だらけになって、真っ黒になって重労働をしても、その挙句が赤字続きでは泣くに泣けない」
 とこぼすのである。
 「秋元さん、何言ってるんだ。 今まで散々儲けて莫大な財産を残したんじゃないの。 少しくらい損をしたからと言っても、今まで儲けすぎた分を少し吐き出しているだけだろう。 人生、いい時もあれば悪いときもある。 景気だってそのうち、じきに立ち直って秋元さんのところなんか、またボロ儲けできる時代が来ますよ」
 と、からかったり励ましたりしたものだ。
 秋元さんは二代目で、今は日本に帰化している韓国系の日本人である。 先代はクズ屋より身を起こし、爪に火をともすようにして今日の財を成した。 今では秋元金属工業といえば目黒界隈では知らぬ人はいないくらいになっている。
 ところが彼の話はもう少し深刻であった。
 金融機関は、良いときは秋元さん秋元さんとチヤホヤ言ってくれるが、悪くなると韓国系ということでケンもホロロである。 何とか頼んで融資を受けるとなると、ガンジガラメに担保を取られて全く身動きが取れない。
 先代が亡くなったとき、事業を継いだ長男の秋元さんが不動産を相続し、現金などの動産は他の兄弟が相続したので、、現金の余裕など全くないのだ。 先代が死んだときは好景気だったので仕事さえ一生懸命にしていれば、金は自然とついてくるものと思っていたが、このような不景気に直面するとまったく苦しい。 不動産の相続税を今でも割賦ではらっている状態である。
 第一、この仕事に従事する人間がいない。 彼の息子は一流大学を出て、ある金融機関に勤務していたが、跡取でもあり背に腹は代えられず、そこをやめさせて息子夫婦ともども、真っ黒になって働いている。
 自分だけならまだしも、息子夫婦まで巻き込んでしまい、将来のことを考えると暗澹たる気持ちだ、とのことである。
 傍目には良く見えても、中に入れば大きければ大きいなりの苦労はあるものである。私もここまで話を聞いた以上、ヒヤカシや冗談では失礼だ。 まして秋元さんは私より年長であり、私の父が町工場を経営して苦しい時代には随分無理を聞いてもらって助かったのだ。 その秋元さんが
 「こんなことはなかなか相談する人がいないし、山崎さんに相談したら何か道が開けるかと思って相談に来た」
 と言ってくれるのである。 私は
 「それなら秋元さん、お宅は三百坪からの土地があるのだから駐車場にしたらどうですか? あの辺りなら駐車場が不足だから満車経営間違いない。 年々、駐車料金も値上がりしているから絶対確実な収入ですよ。今は駐車場でも敷金、礼金を取る時代だし、通路をとっても七、八十台は収容できるでしょう。 そうすればざっと考えても月に二百万近い収入は堅い。 第一、現状のまま即、切り替えが可能ではないか。 しかし、どうせ駐車場にするなら私は鉄骨で二階建てにして運用したほうが良いと思う」
 以前は七,八名いた従業員も年を取ってくるに従い重労働に耐えられなくなり、今は身内だけだとのこと。 これなら変わり身は早く楽だ。 満車経営間違いないから心配するなと言うのに散々心配し、最後に
 「息子夫婦とも良く相談してみます」
 と言って帰っていった。
 それから間もなく現状のままで駐車場への切り替えを秋元さんは実行した。 そして一ヶ月も経たずして満車となったのである。 昭和四十六年頃の月収二百万円は大金であった。 秋元さんは喜んで
 「山崎さんの言う通りにして本当に良かった。 自分はスクラップの仕事しかできないから、同業の親戚へ手伝いに行き喜ばれている」
 との話であった。 息子さんは良く出来た人なので以前の職場でも戻って来いといわれているし、、他からも引く手あまたの様子である。
 ところが、それから一年半くらいたった昭和四十八年に石油ショック、狂乱物価がやってきた。すると秋元さんは私に
 「やー、山崎さん、駐車場にして損した」
 と言うのである。
 「へエー、駐車場で赤字なの?」
 「いや、 駐車場は儲かっているけどスクラップをやっていたらもっと儲かった」
 「そんな調子のいい話ってあるかい」
 「いや、冗談ですけど、今の狂乱物価はこんな状態ですよ。 いつまで続きますかね」
 と笑って分かれた。 それ以来会う機会もなく五年が過ぎた。
  ある時、私が目黒のカラオケスナックでいい気持ちで唄っていると、そこえひょっこり秋元さんが二人連れで入ってきた。 私はすぐ秋元さんと気づいたが彼は私と気付かない私はそばにいる店の女の子に
 「秋元さん、よく来るの?」
 「あら、山崎さん、秋元さんを知っているの? 良く来てくれるのだけど、あの人とっても金持ち風吹かすのよ。 秋元さんってそんなにお金持ちなの?」
 「ああ、大きな駐車場を経営しているからその収入だけでも大変だろう」
 安いスナックである。 金持ち風を吹かすような場所ではない。 私はたまによる店であるが今までよく会わずに来たものだ。
 私が続けて三曲ほど唄うと
 「うまいけど、あんたも好きだね」
 などと誉めているのか貶しているのか分からぬことを言って私をジロジロ見ている。 しばらく考えている様子であったが、そのうち
 「あんた、どっかで会ったことあるね」
 「そうですね。 どっかでお会いしてますね」
 横柄な態度なので私もトボケていた。 あまりジロジロ見られるので、私はつい
 「どうですか? 駐車場は今でも満車が続いていますか?」
 と言ったものだ。
 「あれ、おかしなことを言うな?」
 という顔付きで、横目でジッと彼は私の顔を見ていたが、その目が二、三回くるくると回ると、いきなり 「がばっ」 と椅子から飛び上がった。 私に深深と最敬礼をして
 「こ、これは山崎さんですか。 何とも、大変、失礼をお許しください」
 三拝九拝され、それからは「飲んでください。 食べてください」の大接待。
 「私は、山崎さんは真面目な人で、こんなところで歌を唄うような方ではないと思っていたものですから、どうしても思い出せませんでした。 どうか失礼をお許しください」
 何とも妙な言い訳である。 またまた、誉められているのか貶されているのか全く判断に苦しむ。 しかし本人は冬だというのに汗を流して真剣だ。 
 「こんな汚い店で申し訳ありませんが、まあ今日は取りあえず飲んでください。 こんな店では、お口に合うものもないでしょうが何なりと食べてください」
 店の女の子が気を悪くするのではないか?そして
 「山崎さん、私は本当に駐車場にして良かったと思っています。 お陰様で遊んで歩けるようになりました。 先日もこの友人と韓国へ行って死んだ父親の親戚へ、いい羽振りを見せることができました」
 この態度の豹変振りに女の子たちがビックリした。 三人の女性の前で金持ちの秋元さんが私をこれだけチヤホヤ持ち上げてくれれば安スナックでも満足だ。 私は気持ちよく、したたかに酔わせていただいたのであった。
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