酒よ咲け咲け 酒よ咲け
 先日、私の所属するある会で経営委員会のゼミが開かれた。 暗く重い時代、今更経済問題を勉強するより、肩のこらない明るい話の中にかえって経営のヒントがあるものだと言う事になったらしい。 『酒』と題する話であった。
 話を聞いているうちに、私自身が酒にまつわる失敗談や若い頃の出来事が次々と思い出されてきた。 私も大分頭がボケて来ているので、思い立ったら忘れぬうちに書かねばならぬのである。 どうせ書くのならあることないことおりまぜて書かせていただくことにした。
幼児期は甘味を好み 
     成熟期は渋味と苦味を好み 
            老年期はまた甘味に戻る
 
 日本ではビールが一番多く飲まれている。 飲まれている酒の中で75%がビールだそうだ。 残りの25%を日本酒・ワイン・焼酎・ウイスキー、その他もろもろの酒を約4千社で生産し販売に鎬を削っていると言う。
 その中で最近はワインの伸びがすさまじい。 それは日本に世界各地より旨いワインが安い価格で輸入されるようになったからである。
 私の若い頃は「赤玉ポートワイン」をワインと信じていた。 あれは甘くて飲み易く酒の苦手な私向きの酒であった。
 ある時、ヨーロッパ帰りの知人に銀座のレストランへ連れて行かれ、初めて本物のワインなるものを飲まされたのである。
 私の知人は旨そうに飲むのに、私は思わず吐き出しそうになった。 それは渋くすっぱく、香が悪く、とても旨そうになど飲めるものではなかった。 私はこの酒は, 腐っていると思ったのである。
 彼が旨そうに飲んでいるのに、私が吐き出しては失礼いだと必死の思いで飲み込み、目を白黒していると、彼はヨーロッパの紳士調で
 「山崎さん、どうかしましたか? このワインはまろやかな味といい、高雅な香といいなかなか良いワインですよ」
 「いや、私の飲んでいますワインとは大分内容が違いますので、ビックリしたのです 腐っているのではないかと思って・・・・・」
 「ああ、赤玉ポートワインね。 あれは日本人向きに作った酒で、勝手にワインと名乗っていますが、あれはワインではないのです。 日本には世界に通用しない酒が結構出回っているのですよ」
 今では私も何の抵抗もなくワインを飲めるようになったが、当時は、
――世界の人間は変わっているものだ。 旨くもない酒を旨そうに飲んで……。 それは日本の赤玉ポートワインを知らないからなのだ。 これを知ったら、こんな酒は売れなくなるだろう。 国際人とはまったくきざな人種だな!――。
 と、ひがみ根性丸出しで思ったものであった。しかし残念ながら、その後、世界に通用するワインとはこういうものなのだと納得せざるを得なくなったのである。
 だが、この度ゼミの講師の坂本憲司先生の話では
 「赤玉ポートワインはワインである」
 との話であったから、いつの日か、かのキザ国際人に会うようなことがあったら(30数年お会いしていないが)、教えてやりたいものだと思い出したのであった。 と言うのも、、ワインを飲むたびにこの情景が思い出されて、私は三十数年ワインコンプレックスを持ち続けてきたのである。
 その時の坂本先生の話では、人間幼児期は甘味を好む。 成熟期に入ると渋味・苦味を好むとのことであった。 これは何も人間のみでなく社会構造もまったく同じことが言えるようである。 社会構造が成熟期に入ると、ケーキだとかソフトドリンクの飲み物にしても甘味を押えたものが好まれるようである。 昔ならウーロン茶など金を出して買う人はいなかったと思はれる。
 そう言われてみると、私も赤玉ポートワインはこの三十年くらい飲んでいないし、今でも売られていることも知らないでいた。 赤玉ポートワインがワインだと言うのなら、昔を思い出して買ってきて飲んでみようかなと思ったのであるが、講師の先生が言うのには
 「老人になると又、甘味に戻る」
 との話なので、昔をなつかしんで買ってきて飲んだら
 「うん、これは旨い。 これは俺の好みだ」
 となるとこの学説?通り 「俺は老人だ」 と証明する結果となるため、当分酒屋へ行っても、 赤玉ポートワインの棚へは近ずくことが出来ないのである。
アル中になって、 ハワイへ行こう 
 日本も全く豊になったものだ。私の青年期はサントリーオールドは高嶺の花で、せいぜいトリスウィスキーが標準であった
。 その頃のテレビコマーシャルに『トリスを飲んでハワイへ行こう』が盛んに流れ、この抽選に当たってハワイへ行った人たちは全員アル中だったと言うギャグがもてはやされた。 サントリーウィスキーはコマーシャルに浪曲を取り入れ、新旧合体の斬新感のあるものを制作し話題を集めた。 
 当時はサントリーバーは高級バーの代名詞でありトリスバーを睥睨した。 このサントリーバーでも棚に並んでいるのはダルマと称するサントリーオールドが主流であった.。 この羨望の的であったオールドは、今では平均点以下の評価のようである。 ウィスキーは酒の全生産量の1〜2%のシェアで、近年伸び悩んでいるが、ウイスキー業界が、次から次へと高級ウイスキーを発表するのが伸び悩みの一因だと私は思う。 
 それにしても日本のウイスキーは外国では非常に高い評価を受けている。 分からないでいるのは案外日本人自身なのかもしれない。 英国では
 「我々は売れるからと言って、日本酒を造って日本の市場に参入しようとは思わない それなのに、日本人は我々が長年かかって培った技術で造ったウイスキー・ブランデーの類を、たちまちのうちに会得し、それよりももっと良いものを作ってしまう。全くけしからん」
 と言っている。 これは日本の技術水準の高さだとは言え、かの国の人た
ちに言わせれば国技を横取りされたと思うようである。
 近頃は、海外へ出た人が重い思いをして高い洋酒を買って帰ってくる人は少なくなったが、私も昔は普段飲んだこたもない高い洋酒を買ってきては飲まずに棚に並べて喜んでいたのであった。
 私の友人は、海外の免税店で日本の高級ウイスキーを買えばダルマ並みの価格で買えるから、へたな外国の酒を買うより旨いし安いし、人にプレゼントをしても喜ばれるから一番良いと言っている。
とりあえず”はビールの枕ことば
 何人かで居酒屋へ入って来た人達は全く同じように「とりあえずビール」と言う。 そこから「とりあえず」はビールの枕ことばだと言われるのである。 無意識に出る言葉なのであろうが気をつけてみていると笑ってしまう程なのである。 十年位前、居酒屋で働いている年配の女性にこの話をしたら
 「山崎さんに言われるまでは何とも思わなかったのに、三人も四人も続けて同じように言われると、つい声をだして笑ってしまうわよ。 お客さんは何で笑ったか分からないらしいけど、私にあまり変なことを吹き込まないでよ」
 と叱られてしまった。
 それと、ビール党は意外と銘柄にこだわる人がいるのだ。 店のほうもちょっと格好をつけているところは
 「ビールの銘柄は何になさいますか?」
 普段は出されたものを何でも文句も言わずに飲んでいるのに、わざわざ聞かれると何か一言能書きを言う人が多いと言う。
 ビール会社の社長が一堂に集まった場所には各社のビールを用意し、その社長の前には自社のビールを置かねばならぬので、店の神経の使い方は大変だとのことである。
 間違って誰かが他社のビールをお酌しようとすると、そこは大物社長だからニコニコ笑って受けるのだが、そのビールは絶対飲まぬと言う。 それを中居さんは素早く察して、新しいグラスをもって行くのだそうだ。 だけどこの話、本当かね。 あまりよく出来すぎているので一寸まゆつばものだと思っている。
 しかし、地域によるファンは確かにいるようだ。 目黒法人会では、今の恵比寿ガーデンプレイスに昔はサッポロビールの恵比寿工場があり、その納税額が目黒税務署管内では破格の金額であった。 だから今でも目黒法人会の懇親会、旅行会等のビールは「サッポロビール」に限定しているのである。
 カラオケの曲の中に森雄二とサザンクロスの歌で「好きですサッポロ」という曲があるのだがカラオケ好きの私は替え歌で「好きですサッポロビール」と唄うのである。
 現在、恵比寿ガーデンプレイスの中にサッポロビールの本社があるものだから、、恵比寿や目黒周辺のスナックやクラブでサッポロビールの社員を見かけることがある。襟にサッポロビールのバッチをつけているからすぐ判る。
 すかさず「好きですサッポロビール」をリクエストするのだ。 店のママがサービスで勝手に入れてくれることもある。(考えてみると、どちらにサービスしているのかな?)
      好きですサッポロビール   好きですあなた
      好きですサッポロビール   好きです黒ラベル(だれよりも)

 この(だれよりも)を一番は黒ラベルから始まって二番は(好きですエビスビール)、さらに(すきですキリンよりも) (好きですアサヒよりも) (好きですサントリーよりも) で丁度終わりになるのだ。
 普通カラオケスナックに来ているお客さんは、仲間が唄っていてもほとんど聞いてなどいない。 まして替え歌で唄っても替歌だと気ずく人は滅多にいないのだが、このサッポロビールの歌はバッチをつけている人達は絶対に聞き漏らさない。
 仲間うちでどんなに話し込んでいても「好きですサッポロビール」を唄い出すと、背筋をピンと伸ばし画面を凝視してくれるのだ。 そして「好きです黒ラベル」とワンコーラス唄い終わるのを待ちかねて、グラスとビールを持って私のところまで飛んできてくれて
 「有難うございます。 まあ一杯飲んでください」
 とサービスこれ務めてくれるのである。 今まで十人が十人、バッチをつけている人は皆同じであった。 ビール会社とは誠に愛社精神を徹底して教育しているものだと感心するのである。
 その逆に向島の三業地内のクラブで「好きですサッポロビール」を唄った時は客席から
 「ここえ来て、よくそんな歌を唄えるな」
 と非難の声が飛んできた。考えてみたら吾妻橋にはアサヒビールがあり、向島にはアサヒの倉庫が並んでいてアサヒビールの本拠地の真っ只中であったのだ。 あの時はそれ以上の危害は受けなかったが(地元の同業者の仲間と一緒だったので……ガラが悪い?) 私の道楽も場所をわきまえないと怪我をするかもしれないと思ったのである。
 
酒と能書き
 私は酒をあまり飲めない。 飲めないと言うより飲まない方が体が楽なのである。しかし、この頃は飲めない飲めないと言いながら結構飲んでいるようだ。
 酒は飲めない飲めないと言いながら多く飲むよりも、私は酒は飲めますと言って少ししか飲まない方がきれいだ、という話を聞かされたことがある。 だが私の場合、飲めません言うのに、世の中には、勧め上手な人が多くいて、結構飲まされて来たのだから、これで飲めますと言ったら、とうの昔に酒で殺されていたかも知れない。
 酒は、飲んでは吐き吐いては飲めば、たちまち強くなるものだと教えてくれるのだが昭和一桁の生まれで食糧難の時代に育っていると、とてもそんなもったいない事は出来ない。 たとえ悪いものを飲み食いしても、中毒を起こさぬ限りは一度体に入れたものを通過せずに戻すなど、とても出来ないのである。
 かえって、これ以上飲むと気分が悪くなるぞ、と言う兆候が自分で判るので
その後はウーロン茶かウーロン茶の水割り(ウーロン茶を水と氷で薄めてウイスキーの水割りくらいの色にする)でも飲んでカラオケで発散させてしまうのである。 だからこうなったときにカラオケがないと私の場合、大変苦しい。
 それと私は耳が多少遠くなって来ている。 普段の会話は特に不自由することはないのだが、酒席での湧き立つような中での会話は、半分以上理解
が出来ない。 相手の話を聞き取れないのである。 このような場所で何回も聞き返すのもめんどうなので、適当な返事をしていると、相手が変な顔をすることがある。 そういう時は私がトンチンカンな返事をしているのだと思う。その点カラオケを唄っているうちは会話に入らなくても良いし、酒を飲まなくても良いと大変好都合なのである。
 東北には日本酒党が多い。 私がお世話になっているお二人も、大の日本酒愛好家である。
 「東北へ来たら日本酒ですよ」
 と日本酒を付き合わされるのであるが、お二人の好みの酒の銘柄がそれぞれ違うのである。
 仕事は実に息の合った連携プレイでこなしているのに、日本酒の好みの銘柄については一歩も譲らない。 絶対に妥協しないのである。 二人並んで酒を飲んでいても、自分の酒以外は飲まないし、お互いお酌もしない。
 A氏は「春霞」が好みで、B氏は「一の蔵」のファンである。お二人はそれぞれ自分の好みの酒を説明しながら私にお酌をしてくれる。
 「山崎さん”一の蔵”は旨いでしょう。 一の蔵を飲んだら、他の酒は飲めなくなりますよ」
 「いや、山崎さん春霞を飲んでみて下さい。 永いこと待ち望んでいた酒と感じるのが春霞なのです」
 自分の酒を少しでも多く飲まそうとしてくれるのであるが、酒量の限界が低い私は、たまったものではない。 早く何か言って結論を出さなければ、私は双方からエンエンと酒を飲まされることになるのだ。 しかし私は酒音痴なのである。 甘口の酒なら旨いと感ずることもあるが、辛口の酒など旨いと思って飲んだことなど一度もない。 然し、何か言わねばならない。得意先の大事なお二人である。これだけ自分の酒にこだわっているのだから、どちらの肩を持つわけにも行かぬのである。
 意を決した私はそれでも平然とした態度で
 「そうですね。 一の蔵は味が濃くて旨いという感じがします。 春霞はすっきりした味で旨いと感じます」
 二人は同時に
 「そうだろう。 そう思うだろう」
 といって私の評価を納得してくれたのであった。
鮒ずしとはどんなすし?
二十年位前になるが滋賀県のある町へ菊池さんと出かけた。 地元の事情を知るには場末の飲み屋に限ると、夜、赤提灯のような小料理屋で飲んでいた。 カウンターの隣の席には五十半ばの男の人が酔っ払って寝ていたのである。
 しばらくするとこの酔っ払いが目を覚まし、我々に話し掛けてくるのだが、酔っ払っての方言だから、何を言っているのか全く通じない。 適当にあしらっていたら、そのうち我々が地元の人間ではないと分かったらしい。
 「おまいら、どこから来たのか?」 
 「東京から来ました」
 「本当に東京人(じん)か? どこに泊ってる?」
 「××屋旅館です}
 「そうすると○○会社の関係の者か?」
 「はい、そうですが・・・・」
 「それじゃ、お前、鮒ずし食ったことあるか?」
 鮒ずしという言葉も聞いたことがない。
 「いや、ありません。 鮒ずしとはどんなすしなんですか?」
 「本当か? 本当に食ったことないか? 滋賀に来て鮒ずしを食わぬという方はない。 それでは俺がご馳走するからついて来い」
 「はあ、ありがとうございます。 だけど本当についていっていいんですか?」
 大丈夫ですかと言いたいくらいなのだ。 菊池さんは首を横に振っている。
 「心配しないでついて来い。 ここのママだって俺のことを良く知っているのだ。心配するな」
 寝起きの悪いときの酔っ払いとは今は態度が全く変わっている。 若い相手なら警戒もするが、この人なら身ぐるみ剥がされることもないだろう。 こういう出逢いを求めて、こんな汚い飲み屋で飲んだのではないか。 最悪の場合は、支払いはこちらで負担する覚悟で行けばよい。 騙されるのも一興だ位の気持ちでついて行くことにした
 タクシーに乗って暫く行った隣町の街外れという感じの飲み屋についたのである。
 「東京じんの客を連れてきた。 鮒ずしあるか?」
 我々東京育ちのものは”すし”と言えば、まず江戸前のにぎりずしを思い出す。 次には大阪ずしの押しずしくらいの物である。 まあ、滋賀は大阪に近いから鯖すしや鯛すしのたぐいの押しずしだろうと考えていた。 ちょうど腹も減っている。 遠慮なくご馳走になるか。 それにしてはいっぱい飲み屋とはおかしいのだが、そのときは全く気にしなかったのである。 この土地独特の押しずしが出てくるものとばかり思っていた
ところが、出て来たものは全く想像もしなかったモノであった。
 鮒ずしの作り方はまず四斗樽を用意し、庭にお釜を並べて二斗以上の白米のご飯を炊き上げる。 樽に炊き上がったご飯を敷きつめ、冬の間に琵琶湖で取れた源五郎鮒を少し硬くなるまで乾燥させたものをご飯の上に並べる。 又ご飯を敷きつめ鮒を並べる。 このようにして七重八重と積み重ねた上に、重石蓋を置いて重石を乗せるのだ。 そして春から夏、さらに秋
えと自然発酵を待つのである。 
 発酵して来ると、臭いにごり水が浮いてくる。 この作り方を私に教えてくれた滋賀育ちの森さんは、小学生の頃、鼻をつまみながらこの、にごり水をホースの水できれいになるまで流すのが、彼に課せられた日課であったと言う。
 春先に漬け込んで八、九カ月たった正月近くに食べごろとなるそうである。 食べなれた人の話では、これを肴に酒を飲んだら最高だと言うのだが・・・・・。
 この鮒ずしは滋賀県独特の保存食であるが、手間と金が掛かるので、今では作る家も少なくなり、 現在では高級料理の部類になっているそうである。
辛口の酒に合う肴
 鮒ずしはその臭い匂いと、酸っぱい奇妙な味ではじめての人は、とても食
えたシロモノでない。
 私の目黒の親友が昔、滋賀出身の人と話をしていたところ、たまたま鮒ずしの話となった。彼は勘違いをして、うっかり
 「鮒ずしはうまいですね。私は大好きです」
 と言ってしまった。 するとその人が
 「本当ですか? 鮒ずし、本当に好きですか?」
 と何度も念を押すので、――これは変だな? と思ったのであるが、今更
 「鮒ずしとは、どういうものでしたっけ?」
 とは聞けないので 「好きです」 で押し通したのである。
 すると、後にその方より鮒ずしが送られてきた。 彼は送られてくる途中で腐ったのだと思って捨てたのである。 しかし、東京に着いたものは腐ってましたとは書けないので、東京名産のぬれ甘納豆と礼状を添えて出したところ、翌年も送られて来たのでやっと自分の勘違いが分かったのである。 仕方がない。彼はお礼の品に丁重な詫び状を添えて平謝りに謝ったそうである。
 皿に何かが乗せられて出てきたとき、これが鮒ずしだと聞かされて
 ――しまった! はめ込まれた。意地悪に乗せられてしまった!
 と悔やんだのであるが、今更じたばたしても仕方がない。 私は特に酸っぱいものが苦手である。 その上、くさい匂いはくさや以上である。 私と一緒の菊池さんは顔をそむけて箸もつけない。 私は一切れつまんで口に入れると、
 「ほう、これが鮒ずしですか? なかなか珍味ですね」
 と平然と言って退けた。
 私の一挙手一投足を、最初からジッと見つめていた酔っ払いは、その言葉を聞くと横から身を乗り出すようにして私の目をジッと見据えて、
 「本当か? 本当に旨いか?」
 と念を押した。

 「いや、うまいですよ。 これは辛口の酒に合いますよ。」
 酒の味もわからぬ私は後で菊池さんに 「この酒は辛口だから大丈夫だよ」 と聞かされ、安心したのであった。
 私は昭和の一桁生まれの戦中派であるから、戦後の食糧難の時代を生き抜いてきた。 だから第一に食べ物の好き嫌いが全くない。 その上どんなにまずいモノでも、これを食わねばならぬと思うと平気で食べられるという特技を身につけている。 この特技がこの大事な瀬戸際に役に立ったのであった。
 この酔っ払いは、東京から来たという人を何人もこの店へ連れてきては意地悪をして楽しんでいたに違いない。 私はだまされたままでは口惜しいので、毒でも平気で喰らうくらいの心境であった。
 私の目をジッと見続けていた酔っ払いは
 
 
「ウーン、あんたは大した人だ。 鮒ずしは始めて食って絶対うまいものではない。 その鮒ずしを初めて食って顔色も変えずにうまいと言った東京じんは、あんたが初めてだ。 よし気に入った。 明日の晩私の家に遊びに来い。 あらためてご馳走する。」
 「ありがとうございます。 だけど明日のご馳走は又、鮒ずしではないでしょうね」
 私は素直に、だが、はっきりと念を押したのであった。


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