札幌良いとこゴルフにおいで 
  私のゴルフは楽しさ一番 
 私の仲間で年に一回「北海道でゴルフをやる会」が発足して今年(平成9年)で十八回目が終了した。最初は札幌より進出してきた商社が中心となって始まった会である。数年して中心企業が他へ移ったが、ゴルフ会はあくまで北海道に
こだわって楽しく現在まで続いている。
 年一回のコンペだから第1日目は新ぺリアで競技し、2日目は新ぺリアのハンデで優勝を争うのである。新ぺリアのハンデでも優勝者は三割、準優勝者は二割、三位は一割のカットがあるから二日連続優勝はなかなか出来ない。
 初期の頃は第一日目のゴルフが終了するとサッポロビール園でジンギスカンを食べながらパーテイをやり、二次会に札幌ミカドのキャバレーへ流れていったものである。
 札幌のグランドキャバレー・ミカドは赤坂のミカドとほぼ同じ作りであり、最盛期にはホステスの人数三百名で、それは華やかなものであった。赤坂のミカドが閉店した後も、しばらく札幌の店は営業を続けていた。
 当時、札幌のすすき野にはパーティー屋という業者がいて、スナック、クラブ、キャバレーなど数店と契約していて、希望に合わせて良心的な料金で案内してくれるのである。ひょんなことよりこの業者の河野社長と知り合い
 「うちはキャバレー・ミカドのボックス席数席を年間契約で借り切っていますから、一人二千五百円でどうですか? 二人に一人、ホステスをつけますよ。但し、飲み放題ですが一時間の時間限定ですけどね」
 ホステスのサービスつきで、二千五百円で遊べれば相手はミカドだし破格に安い。半信半疑でついて行ったら間違いがないことが分り、翌年からは予約をとって遊んだのである。
  水商売の奥の手
 
 三年目くらいにお互い気心も知り合ったので
 「社長、この料金で採算が合うんですか?」
 と質問したら
 「そうですね、山崎さんだから裏話をしますが、ミカド位の大型キャバレーになると、ボックス席を埋めた行くのに順序があるのです。山崎さん達に使ってもらっている席は最前列でホールに近いし、一見、良い席に見えますが、ここは両端なので満席になった最後にお客さんを案内する席なのです」
 常連客が満席近くなって接待客を連れてきたとき、支配人はもっともらしい顔で
 「そろそろお見えになる頃と思って席を空けてお待ちしておりました」
 と、大切なお客様だから特別待遇なんだと思わせるように言えば、接待する側は客にいい顔を見せることが出来るものだそうである。特にミカドはこの両側のツーボックス席を、えんじ色の太いロープで区切り、特別席の雰囲気を出しているのだ。ところがこの席が埋まるのはまず9時を過ぎてからなのである。
 「ですから9時まではうちの会社で年間通しの契約をしています。年間通しの契約ですから山崎さんの想像以上に安いのです」
 三年前この社長と知り合ったのが8時前だったから、サッポロビール園からマイクロバスで案内されて、我々は9時近くまでの一時間、安い料金で楽しく遊んだのであった。
  まだまだあった奥の奥の手

 
ところが河野社長にはまだこの先の奥の手があったのである。彼はミカドのベテランホステス数人と契約していて、彼が送り込んできた客に最大のサービスをするようにさせてあるのだ。最大のサービスと言っても客を飽きさせないよう努力するだけなのであるが、彼女達もこの客はいずれまた札幌へ来る客である。尽くしておけば次回は指名をつけてくれると思うから一生懸命だ。 そして九時近くなったら彼女達に
 「別料金になるけど、もう少し遊んで行ってくれない?」
 と、甘えさせれば良いのだ。まず大体の客は
 「時間も早いし、どこで遊んでも同じだから残ろうか」
 ということになるそうだ。
 「別料金になると普通の料金ですから、私共にも正規の割戻しが参ります。遊んでいるうちは一時間はあっという間に過ぎてしまいます。気が付かなかったでしょうが山崎さんたちのグループも、ほぼこの通りだったのですよ」
 別料金の支払いは割り勘なのだが、いつもは客を接待する立場の人で、高いクラブで数人分を自分ひとりで払っている人が多いものだから、別料金に指名料が加算されても、一人分の分担金では錯覚に陥り 「安い、安い」 と思い込んでしまうらしい。水商売の裏側にはいろいろなカラクリがあるものだと感心したが、この遊びは五,六年続いたと記憶している。
 その後、我々の会も札幌周辺から離れ、函館、釧路、旭川と3年ばかりドサ回りをしているうちに札幌のミカドも閉店となり、河野社長とも疎遠となってしまった。
  
情けに乗ってミスショット 
 本年(平成9年)のゴルフ会は7月四,五の二日間で行われた。特別の所用がない限り、それぞれのグループであと1日を追加して、ゴルフをしたり観光をしたりするのである。
 朝、九時前に羽田をフライトすると12時前にはゴルフ場に到着する。北海道全域、空港近くのゴルフ場なら同じである。そしてほとんどのゴルフ場は二部制の営業だ。ワンラウンド通しのプレーで、ハーフで休むということがない。知らない人は午前中でワンラウンド終了するから、今日は楽にツウラウンドできると思うと、そうはいかない。昼近くから新しいお客さんが続々と詰めかけて来るのだ。
 「北海道は冬の間、冬眠するからシーズンに入ると二部制で、二回転させて稼いでいる」
 と私は言って来たが、休みなしのワンラウンド通しのプレーは効率が良いらしく、東京近郊のゴルフ場でも料金を安くして、ワンラウンド通しのプレーをするゴルフ場が出始めている。
 私は第一日目の札幌国際カントリークラブでは大叩きをしてしまった。52,54の106回である。これが実力と言われれば仕方がないのであるが、自分としては片側だけでも五十を切りたいと頑張ったが、頑張れば頑張るほど力ばかり入って結果は良くない。
 7月2日に我が社が所属する東京鋲螺協同組合の山の手支部でゴルフコンペがあった。7月4日の札幌のゴルフ会には、2日のコンペが終了してからクラブを送ったのでは間に合わない。1日には宅急便で送らねば危ないのである。支部コンペには永久スクラッチで握っているライバルが二人もいるから、慣れているクラブを持っていって勝負したい。だが札幌は二日間のコンペだし、良いスコアーで回って、すすき野で自慢もしたい。
 散々迷った挙句、慣れているクラブは札幌へ持ってゆくことと決心し、この先迷わぬようにと28日に宅急便で送ってしまった。こうなれば7月2日の支部コンペには古いクラブを引っ張り出すより方法はない。日曜日に屋上で古いクラブで練習をしてみたがどうも重くて振りぬきが悪いのである。歳になって重いクラブが苦しくなったので一年前に今の軽めのクラブに変えたのに、また、重いクラブを持って良いスイングが出来るはずがない。丁度そこへ友人が遊びに来た。
 「そんなことなら、私がアメリカから遊びに帰ってくる友人より預かっているピンのニューモデルがあるのです。貸してもいいと言われているし、山崎さんは昔、ピンのアイアンを使っていたから丁度いいでしょう」
 と持ってきてくれた。確かにピンのニューモデルは格好がいい。手にしているうちに良いクラブは使いたくなる。
 「じゃせっかくだから使わせてもらおう」
 内心わくわくしながらコースへ担いで行ったのである。しかし、結果は散々であった。大体、新しいクラブでコースへ出て、良い結果はなかなか出ないものである。
ナイスショットだと飛びすぎる。番手を落としてフルスイングと思って振ると力が入りすぎてミスショットとなる。ああだ、こうだと迷っているうちに、すっかりリズムを崩してしまった。
  運が8割、実力2割
 こんな状態で迷いを引きずったまま7月4日の札幌国際カントリークラブへ移動してきたのである。心配していた通り、納得いかぬまま第一日目は終了した。
 私は106回も叩けば、いくら新ぺリアでも上位の入賞は無理だろう。二日前の同業組合のコンペは久し振りでブービーだったから、こうなれば連続ブービー賞を狙いたいものだと願いつつ、、張り出されている成績表を見れば、なんとハンデが28もついて2位になっているではないか。 びっくりして隠しホールを見せてもらって自分のスコアカードと照らし合わせてみると、ハーフ1つずつ取れたパーが隠しホールから外れている。数少ないボギーが全部外れているのだ。ハンデホールにはダボ以上のトリプルがずらり、これなら最高のハンデをもらえるはずだ。こんな強運は初めての経験である。
 明日は今日のハンデのコンペなのだ。私の28から2割カットされても22もハンデをもらえれば楽勝だ。今日の優勝者はハンデ9だから3割のカットで6である。次の強敵もハンデ12なら問題でない。
 私はいつの間にかラウンド106回のヘボゴルファーでなく、準優勝した実力あるゴルファーの心境になっていたのであった。
 翌日のクラークカントリークラブでのゴルフには全く迷いがなかった。ミスショットをしても焦ることなく、370 、80ヤード以上のミドルホールは無理してツーオン狙いはせず、二打目はアイアンで100ヤード前後まで持ってゆき、確実にスリーオン狙いの全く堅いゴルフのお陰で、45,45の90打数の4アンダーで優勝してしまった。プラス思考でさらに心に余裕を持つと、人間をこうも変えてしまうものであろうか。

  
ショート・ショート
 モナリザ 
 亭主は売れない画家で怠け者であった。そして酒を飲んでは大言壮語、さも自分が偉大な画家であると吹聴しているうちに、いつしか自分はレオナルド・ダ・ビンチだと思い込むようになってしまった。
 奥さんがやっと精神病院へ連れて行くと医者が言った。
 「奥さん、なぜもっと早く連れて来なかったんですか。こんな状態で二年もほっとくなんて」
 「だって先生、うちの人は私のことをモナリザと思い込んでいましたのでつい…」