ションベン珍談
根性悪のひねくれ者
私も近頃、歳のせいかションベンの出が良くない。 一人静かに大らかな気持ちでションベンをする場合は問題ないのだが、カラオケスナックなどで、早く済ませないと自分の順番が回って来てしまうと、焦れば焦るほど私のオシッコは意地悪く出てくれない。
駅のトイレや高速道路のトイレなどで後ろにずらり並ばれると間違いなく出なくなるのだ。 ごくまれに
「お!今日は親の気持ちを素直に聞いてくれたな」
と嬉しくなるときもあるのだが、そこは根性悪のひねくれ者なので、すべて喜ばすような態度を示してくれない。 出が細く勢いが弱いものだから延々と続くのである。終わりかな?と思うとまたジョロジョロと出てくるし、完全にしぼりきって振り落とさないと、パンツの中へタラリとこぼれ落ちるのだ。 身内の息子だからと言って、ひっぱたいて叱りとばすわけにも行かぬ。私が若い頃あまり酷使した報いがひねくれ者の息子に育ってしまったのだろう。 息子とはいえ、生まれたときからの一心同体で生きてきたのだから、老化現象を起こしてくるのは致し方の無いことだろう。 しかし息子なのに親より先に老化が進むとは何事だ。
と、諦めているものの隣の若い人のを見ていると、小便器に向かい合うと同時に、ついと引っ張り出し、パシャっと音を立ててしぶきが私のところまで飛んでくるのではないかと思うような勢いで放出し、キレが良いものだからろくにオチンチンを振りもせずサッと切り上げて行く。 まったく若さとは羨ましいなとつくづく感じるのである。
最近はデパートだとか劇場などマナーの良いところはトイレの入り口で一列に並び、空いたところえ一人づつ入って行くようになったので大変ありがたい。
だが未だに用を足している人の後ろにずらり並んでいるトイレでは、並んでいるうちに後ろの人に
「私はションベンの出が悪いから長くかかりますよ。 若い人の後ろに並んだほうが早いと思いますよ」
と声を掛けるように心掛けている。 するとそこは相身互い身、この気持ちを理解出来る年代の人が後ろについてくれるようである。
日本はまだまだ安泰だ
西荻窪の駅のそばに今でも終戦後のまんまの飲み屋が集まっている一画が残っているのだが、そこのトイレは当然、共同便所で三人ぐらい並んでコンクリートの壁に向かって用を足す懐かしい場所である。 この一画に高校時代の仲間と一緒に行く店があるのだ。
このトイレでションベンをしながらこの壁を見るともなしに見ていると、何と胸の高さまで小便を飛ばして濡れた跡がある。 私も若い頃はこれくらいの勢いはあったものだと頑張ってみたが情けないかな半分も届かない。 そこへ若い男の子がやって来た。
「君、君。おじさんが若い頃はこれくらいの勢いはあったものだが、今は全く情けない状態なんだ。 君は若いから挑戦してみないかね」
「よーし、やってみましょう」
今の若者も捨てたものではない。 ユーモアを理解し挑戦心を持っている若者が健在だとは頼もしい限りだ。 私は後ろから
「ほれ、頑張れ、頑張れ」
と声援を送ったが、彼は残念ながらもう一歩のところで到達できなかった。 そこへ別の若い男の子がやって来た。我々の話しを聞いて
「これは面白そうですね。 私も挑戦してみます」
都合三人が挑戦したが、三人の若者はこのレベルを超えることは出来なかった。彼らは
「飲み直して再度挑戦します。 このままでは口惜しいですから」
と別れたのであった。 こんな素直な若者には一杯飲ませてやりたいとの気持ちも出たが連れもいることだし、酔った勢いであまりはしゃぎ過ぎるのも良くないと思い直したのである。 しかしその後もこのようなトイレに遭遇すると、あのときの若者は記録を塗り替えたのだろうかと思い出すのである。
ションベン以外も出て欲しい
先日、目黒駅近くの雑居ビルのトイレで用を足していた。 昔このビルができる以前は、終戦後の木造バラックの建物で、四筋の通り(勿論車などは入れない)の両側には赤提灯の飲み屋や小料理屋、焼き鳥屋、スナックなどが連なり後から無理して二階を上げているものだから、昼間裏より建物を見ると、良くこれで商売をやっているものだと感心するような構造であった。
終戦後、雅叙園観光ホテル(目黒雅叙園とは全く別法人)が米軍に接収され、このホテルの二階に米軍の将校クラブが出来ていた。 ここへ遊びに来る将校の運転手としてついて来た兵士は、将校クラブへは入れぬものだから待っている間、駅の周辺で遊ぶようになって出来た歓楽街であった。 まず日本人は遊びに行けるような場所ではない。 我々目黒の若者は何かのコネがあってこの一画で遊べれば仲間にいい顔が出来た時代であったのである。 これが時代とともに雅叙園観光ホテルが米軍より接収解除となり、自然この一画も日本人相手に営業が変わるに連れて貸借関係が、又貸しの又貸しという状態で権利関係が複雑となり、本当の家主は誰かと探し出すだけでも大変であった。
目黒の発展のためにと地元の有力者が声をかけて、団結して近代的なビルに立て替えようと言う話は何度も起きてはポシャッテ来たのである。
数年前にやっと機が熟し、四筋の通りの店舗を二期に分けて近代的なビルに集約したのであるが、その説得に当たったリーダーの苦労は、大変だったらしい。それでも下の二筋の通りは先にビルが完成したのである。 しかし上の二筋は少しでも駅に近いことと、時期がバブルに直面したことでそれぞれの思惑が絡み合い、下のビルより完成が四、五年くらい、それこそ建ち後れた。
このまとめ役のリーダーの一人であったサパークラブ飛鳥の竹内一男マスターは、ビルが完成し、このビルの二階にやっと自分の新店「飛鳥」を開店して間もなく体調を崩し、まだ若い命を失ったのであった。
今でも新しい飛鳥の店にキープされている私のボトルの首には、昔の店の当時にカメラ好きのマスターがニコンで写してくれた写真がネーム代わりに掛かっているのである。 その写真は私がカラオケを唄っているポーズで右手でマイクを構え、左手にはぶ厚い歌詞カードを握っているのである。 その頃はレーザーカラオケでなく懐かしい8トラの時代であった。 この写真を見る度に私の道楽もずい分、息が長いものだと自分自身あきれるのである。
今は竹内マスターの娘さんが後を継いで営業を続けている。 私は長いお父さんとの付き合いの関係からたまに顔を出すのであるが (娘さんは結婚して二児の母ゆえご心配なく) 先日、このビルの立派な共同トイレで昔を偲びながら長い用を足していた。 そこへ中年の酔っ払いが入って来たのである。
彼は一つ離れた隣の小便器に向かって立ったが、酔っ払いの長いションベンで何かを感じたのか私に向かって
「ションベンをするのは気持ちの良いものですね」
と声高に話し掛けてきた。
「全くそうですね。 だけど私はこの歳になりますとこの先からオシッコしか出なくなりました。もう少し別の白みがかったものも出てくれればもっと気持ちがよいと思うんですよ」
と答えたところ、彼は小首を曲げて酔った頭で何かを考えている様子であったが、突然
「ワッハッハッァー」
と大声で笑うと、これは敵わぬと思ったのか、ションベンを途中でやめて手も洗わずにトイレを飛び出していったのであった。 (完)
ショートショート
時すでに遅し
竹下が東京の本社から大阪の支店へ転勤してきた。 安部支店長は竹下が賭けの天才と社内に名が通っていることをかねがね苦々しく思っていた。
赴任の挨拶の時、竹下は安部支店長に
「ところで支店長の奥さんには、お尻に大きなホクロがあるそうですね。 私はホクロがある方に50万賭けますがどうですか?」
「君は赴任したばかりのくせにおかしなことを言うね。 もしなかったら即金で五十万を払うのかね」
自分の奥さんの体は自分が一番良く知っている。 この際、この部下に痛い思いをさせて反省させようと、支店長はすぐに奥さんを呼ぶと、よく言い含め、尻をまくって彼に充分調べさせた。
「いや恐れ入りました。 完全に私の負けです」
彼は50万円を支払い、ほうほうの態で退散した。
「これで奴も少しは懲りるだろう。 この金で女房に毛皮のコートでも買ってやるか」
とニヤニヤしているところへ、本社の宮沢社長から支店長宛てにファックスが入った。
「竹下の前で、お前の女房の尻をまくらせるな。 奴とそのことで三百万の賭けをしてある」
と書いてあった。
西部式治療法
西部の原野にポツンと建っている一軒の酒場に、一人の紳士が飛び込んでくるなり、カウンターの中のバーテンに
「き、きみ、シャックリを治す薬はないかね」
するとバーテンはモノも言わず、いきなり紳士の横面を張り飛ばした。
「き、きみ、何をするのだ」
「これでシャックリは治ったでしょう。西部式治療法でさあ」
バーテンはすました顔で答えた。
「ジョ、冗談じゃない。 シャックリで苦しんでいるのは車の中の女房だ」
無駄が多い
神様がある夜、下界へ降りてくる途中、平和な人間社会を見渡しながら、あちらこちらで行われている行為に興味を示し、従者に尋ねた。
「あれは何をしているのじゃ」
「はあ、あれは人間を作っているところでございます」
「ふーむ。して、一日に何人作るのじゃ?」
「とんでもございません。せいぜい一年に一人でございます」
「ふーむ、それにしては人間とは無駄が多いのう」
一回に一人?
嫁に出した娘が里帰りしてきました。母親が娘におそるおそる聞きました。
「どうだい、旦那さまはお前を可愛がってくれるかい?」
「はい、とっても、だけど……」
「だけど、何だい?」
「あたし……、双子や三つ子くらいまでは我慢します。 だけど五つ子や六つ子
は産みたくありませんわ」


